「思いやり」と「同情」 ADAに学ぶ!

consideration sympathyとでも訳すのか・・・。

先日、ADA(Americans with Disabilities Act)の建築規制の勉強会に出席した。 日本でも大分普及した身障者保護の為の建築の対応に関する建築規制である。

 このADAとは連邦法で、人権擁護の法規である。 つまり、バリア・フリーで無いことは人権法に抵触し、連邦法で罰せられるという事である。 逆にバリア・フリーであることは女性に選挙権を与える、黒人と白人が一緒の学校へ行く・・・といったあたりまえのことなのだ。

 最近の日本の建築事情はこの辺がずいぶん良くなってきたと思うが、ただ、どうしても気になるのが、このバリア・フリーが健常者の発想で決められているような気がすることだ。 例えば、駅のプラットフォームへエスカレータが有るとなぜか登りだけのエスカレータの場合が多い。 階段の登りは時間をかけてゆっくりあがることはできても下りの階段はとても危険なものである。 又、エスカレータとエスカレータのつながり部分にある数段の階段がいかに大変なものか、エレベータで途中までいけても数段の階段の為に目的のレベルまで行けなければ意味が無いこと等々。

 人権法ゆえ障害者に「発言の機会」がある社会かどうか、権利として勝ち取るバリア・フリーであるかどうか、健常者の「同情」からのバリア・フリーになってないか? 

 「同情」は上から見下ろしたもので、目線が同じレベルには無い。 相手の立場に目線を合わせて人権を尊重する、それが「思いやり」ではないか。

 先述のADAの勉強会にての逸話として、こんな面白い話を聞いた。

ある身障者が「なぜ、身障者用のトイレへの優先使用権が無いのか、皆と一緒に並ばなければいけないのか?」との訴えを起こしたものだ。 確かに駐車場については身障者用の駐車場へ健常者が車を駐めることは違反である。 従って、トイレも身障者用のものは身障者専用にすべきだと言うものである。 しかしながら、その訴えは退けられたとの事である。 短時間の施設(トイレ)使用に関して、身障者が使用できる施設を設けるのは人権擁護にのっとるものであるが、だからといって皆と一緒に並ばなくても良いということではないとの判断である。 ちなみに私は出張などの際、空港で着替えるのにこの広々とした身障者用のトイレを使用している。